唐津市議会 2022-03-10 03月10日-06号
20年ほど前まで、唐津港でも東港と西港を運河でつなげる壮大なウオーターフロント構想が掲げられていましたが、バブル崩壊とともに海の藻くずと消えてしまったようです。
20年ほど前まで、唐津港でも東港と西港を運河でつなげる壮大なウオーターフロント構想が掲げられていましたが、バブル崩壊とともに海の藻くずと消えてしまったようです。
パナマ運河を最初に渡って太平洋に出たイギリスの貨物船ボストンキャッスル号が、なぜ唐津港に寄港したかということを思い起こしていただくと、幕末から明治にかけての佐賀県の、いや、日本の近代化に唐津の石炭産業が果たした役割というものが理解できると思っております。そういったことも含めていろいろ検証をお願いしたいと思っております。
パナマ運河が開通して100周年になる記念すべき年でありまして、100年前の唐津の栄華をこう見ていますと、人物的にも産業的にも本当に唐津というものが光り輝いた時代ではなかったのかというふうに思います。そういった思いも込めまして、今後ますますの唐津港の発展を祈念申し上げまして、一般質問にかえさせていただきます。ありがとうございました。 ○議長(熊本大成君) 田中議員。
ことしは、パナマ運河が開通し、その運河を渡り、最初に太平洋に出たイギリスの貨物船「ボルトンキャッスル号」が、日本で最初に唐津港に寄港して100周年という記念すべき年になると思っております。
6月議会で、来年はパナマ運河が開通し、つまり1914年、大正3年でありますが、開通100年目の記念すべき年として、そのとき運河を渡って、初めて太平洋に出たボルトンキャッスル号が最初に日本で立ち寄ったのが唐津港、1914年、大正4年の10月4日ということでありますので、記念イベントなどをして、当時のにぎわいを思い起こしてはという質問をしたところでございます。
そして、都市計画法第11条の中に、都市施設として記されているものに、道路、都市高速鉄道、駐車場、その他交通施設、公園、緑地、広場、墓園その他公共空き地、水道、電気、ガス供給施設、下水道、ごみ焼却場など、河川、運河その他水路、学校、図書館、研究施設その他の教育文化施設、病院、保育所その他医療施設または社会福祉施設、その他政令で定める施設とあります。
大正時代になってからも、大正3年のパナマ運河の開通によりまして、国際航路の寄港地、また燃料の補給港となった唐津は、非常に反映することになったものでございます。 以上でございます。 ○議長(熊本大成君) 石﨑議員。 ◆14番(石﨑俊治君) 再質問に移ります。
(1)日南油津港の港湾整備等について 油津港は、飫肥杉の積み出し港として発展してきた歴史があり、現在当時の面影を残 しながら復元した堀川運河を中心としたみなとまちづくりが進められている。古伊万里 文化の香り漂うまちづくりを進める当市にとって大いに参考になる事例であった。
結果でございますが、事業開始当初は運河計画がございまして、これを中心とする緑地整備でございましたけれども、平成17年度の港湾計画の改定によりまして、現在の緑地計画という形になってございます。
パナマックスということで、実はパナマ運河が幅の広いコンテナ船、水深の深いコンテナ船に対応できるように整備がなされておりますので、こういうふうなことが行われますと、世界のコンテナ船は大型化をしてくるというのが、もうこれは確実であります。
「パナマ運河が40年の歳月を費やして完成したのが1914年大正3年8月15日で、以来大西洋から太平洋へ出てアジア方面へ向かう航路が極端に短縮されたことは、海運の発展上にも極めて大きな進展であった。太平洋に出てきた船は、日本にも寄港するであろうが、最初の港はどこか、が全国の港湾関係者の関心を集めたところであった。
ご案内のように、揚州市は中国江蘇省の中部にございまして、揚子江と京杭大運河の交差するところで、中国でも最も活気のある揚子江デルタ経済圏にございまして、重要な商工業及び港湾都市でございます。また、豊かな観光資源に恵まれておりまして、中国の優秀観光都市に指定されており、多くの名所がございます。奈良の唐招提寺を開いた鑑真和上ゆかりの地でもあります。
◆15番(笹山茂成君) いろんな部長はおっしゃられましたが、我々フィッシャーマンズセンターみたいなのを、水路、運河計画のときにですね、そういうのをつくってやると県のほうから言われましたが、それも立ち消えになったし、我々がする、若手が集まって勉強会する場所もですね、ないというような状況で、いつも漁連の2階とか3階で借りてやってましたが、あれが空調設備が悪くてですね、もう古くなってるもんで、夏はぬっか、
これまで唐津東港の再開発において、唐津港ウオーターフロント計画に示されておりました運河計画やフィッシャーマンズワークといった観光拠点施設としての施設整備が港湾計画の見直しにおいて廃止されております。
この質問内容の、この水産市場の件の最後の質問になろうかと思いますけれども、以前ですね、この大島は県のウオーターフロント計画、いわゆる運河計画というすばらしいお客さんを誘導する、観光客を誘導するような企画があったんですけども、こういったものも立ち消えになっておるのですが、今回ですね、呼子のお客さんをふやす、そしてこの大島、この水産埠頭ですか、水産埠頭地区と壱岐フェリー発着所がある唐津東港のですね、ますますのこのにぎわいを
大正3年8月15日にパナマ運河が開通をしたと。それで、大西洋の船がですね、太平洋へ向けてアジア大陸のほうに物資を運ぶ。その第1隻目が日本のどこの港に着岸するのか、その何と第1隻目が唐津港に入港したと。イギリスの貨物船のボルトンキャッスル号であったというふうな記念碑ではなかったかというふうに、私は記憶をいたしております。この思いもありまして、私非常に感銘を受けたわけでございます。
1つ例を挙げてみたいと、これも以前に挙げたんですけれども、北海道の小樽運河なんですけれども、昼間見たら、そんな特別わっと言うほどもありませんけれども、やはり夜になるときちっとした水辺の環境整備はもちろんされておりますけれども、ライトアップとか散策道路、それから周辺道路、そしてその周辺での物産館、やっぱり歩いてみると、ちょっと立ち寄ってみようかなというふうな感覚になります。
小樽市では、昭和61年に運河を埋め立てる計画が大反対を受けまして、半分だけを埋め、残りの半分に車を通す道路と運河側にしゃれた遊歩道をつくったのが小樽の日本有数の観光地への飛躍のきっかけでした。今、有名になっている小樽運河でございます。ここに小樽市長の市政ルポが載っております。
それから、もともとこの緑地公園には運河計画がなされておりましたが、懇話会等の意見を踏まえ、県の方で見直し作業が進められてきたところでございまして、その過程で景観のすぐれた唐津港の施設デザインを一体的に進めるに当たり、30年後、40年後を見据えた長期的な視点で施設のデザインを行う必要があるということでございました。
運河地区は、道整備事業を利用して行ったと言うことでございました。 歳入では、人口減、高齢化、景気の低迷により市税収入の減、交付税の減が挙げられ、歳出においては、扶助費、生活保護の増、社会保障関係費、下水道元利償還金等の繰出金の増加、また、公債費(約80億円)の負担等が原因であると説明を受けました。 以上で小樽市の報告を終わります。